子供たちの成長を見守る優しいまなざし

はこた人形工房

はこた人形は江戸時代後期、1781年から作られていました。
元々、三好家が代々作り続けてきたのですが、私たちの師匠が三好家の最後になりました。 三好家に後継者がおらず、倉吉市が作り手を募集して、そこへ応募した中で私たち2人が選ばれました。 師匠の代で三好家は終わり、今は保存会として伝統工芸を引き継ぎ、制作を続けています。

はこた人形の魅力は、やはり歴史が長いことです。それだけ長い間続いて残されてきたこと自体、貴重な文化だと思います。
元は子どもの厄除けとして使われていたものではないかと言われていて、お人形さんが子どもの禍を身代わりに受けてくれるといいます。
身近な話だと、雛人形のような存在に近いです。

はこた人形は倉吉で作られている、ここにしかない人形なんですが、ルーツがあって、四国の高松の奉公さんから伝わったものではないかと言われています。
張り子のお人形は全国的にも珍しく、一番古いのが四国の高松、そのあと広島、倉吉と絣の行商が歩いたあとに点々と残っているので「行商さんが持ち歩いて伝わったのでは?」と言われています。

三好家の最初、備後屋佐治兵衛という人は絣の行商さんだったんです。倉吉のつつましやかな娘に惹かれ、ここが気に入って住み着き、はこた人形を作り始めたと聞いています。
各地に、はこた人形のルーツみたいなものが残っているのですが、少しずつ違いがあります。 呼び名も違っていて、高松は「奉公さん」、広島は「おぼこ人形」、そして倉吉は「はこた人形」です。


今、職人さんの後継者不足が日本で問題になっていますが、いつも「もったいないなぁ」という思いがありました。
地元倉吉でも「はこた人形の後継者がいなくてなくなるかもしれない」と、新聞で読みました。
まさか、自分が作ることになるとは思っていなかったのですが「後継者がいないなら応募してみよう」と思い、手を挙げました。
倉吉育ちで、はこた人形のことは知っていました。それがなくなるのはやっぱり惜しいなと思ったのです。馴染みのあるものが消えていくというのは、やっぱりさみしいです。

はこた人形を作るうえで、やっぱりかわいく作るように心がけています。
自分がかわいいと思えなければ、買ってもらう人にもかわいいと思ってもらえないと思います。 「かわいくなるように、かわいくなるように」と愛情を込めて作っています。

はこた人形は歴史が長いことも魅力の一つですが、見た目にも特徴があります。
賛否両論ありますが、張り子はわりとぼてぼてした感じが、味があっていいとされています。 でも、はこた人形はつるんとしていて、全国でもめずらしい人形なんです。
この形がこけしと間違われるのは、張り子らしいぼてぼて感がないためで、張り子と思われないため「張り子っぽくない」と言われる方もあります。
きれいに作るこだわりもあるので、張り子なのに滑らかな感じが、はこた人形の特徴です。

はこた人形は作る工程が多く、すべての工程を失敗せずに最後まで作り上げるのに一番苦労します。 「ここうまくいったけど、こっちはちょっとうまくいかなかった」など、今でもあります。

引き継ぐ時も大変でした、師匠に葛藤があったんです。
後継者を残して引き継ぎたいという思いと、自分の中でまだやれるから譲りたくないという思い。 教えてくれる時と「教えてやらない」「何故そこにいるんだ」「わしの技を盗む気か?」みたいな、師匠の中でそんな複雑な思いがあったと思います。
その日によって気分が変わるので「今日はどういうタイプでくるか」二人で身構えていました(笑)。
師匠も人間ですから、いろいろな思いがあったのだと思います。

吉永小百合の映画で「はーこさんの歌」が使われていて、はーこさんも登場しています。
映画の1シーンで、日本の民芸品が失われていく描写が描かれているのですが、その中に「はーこさん」も立っています。
吉永小百合さんが民芸品を歌った歌が12曲くらいあって、その中の1つに「はーこさんの歌」があります。
歌があまり知られていないので、一昨年前くらいに「もっと知ってほしい」ということで、学校で子どもたちが歌えるようにCDを配りました。
保存会の方がすごく力を入れてがんばってくれたので、少しは知ってる人も増えた印象があります。 曲名に使われている「はーこさん」が正しい名称なのですが、諸々の関係で「はーこさん」から、伝統工芸品として「はこた人形」という名前に変えられたそうです。

人形作りは、準備から形づくり、絵付け、完成まで基本は一人で行います。 後継者を募集した市の方針としては、師匠から受け継ぎ、それぞれ独立して作る予定で弟子入りしました。
ところが、思いのほか師匠が早く亡くなってしまい、今は二人でやっています。 師匠は、ずっと三好家だけが作ってきたものに分れ屋ができてしまう、そのことが怖くて仕方なかったのでしょう。
亡くなる前には「3人で一緒に作ろうや」と言っていました。

はこた人形は、実はそんなに有名にならなくてもいいと思っています。
昔から続いているものは、意味があるから残っていて、細く長く続くことが一番大事だと思っています。 地元の方に親しんでいただき、はこた人形を知ってもらえるように残っていかなければと考えています。
ここで終わらせず、次の後継者が育てていくことも重要です。まずは「絶やさない」というのが1つの目標です。

昔は、子どもが生まれると、お守りの代わりに親が子どもに買ってあげるなど、身近なものでした。 そういうことを地元の人が知らない時期もありました。
今では、若いお母さん方へ、母子手帳に「はこた人形のしおり」をはさんでもらっています。 しおりには、はこた人形の由来が書いてあって、はこた人形が子どものお守りだと知っている方も増えてきました。
小さなことかもしれませんが、そういったことから興味も持ってもらえれば、少しは後継者につなげられるという期待も込めています。

事業所名 はこた人形工房


所在地 鳥取県倉吉市魚町2529


担当者 山脇 和子


連絡先 090-1185-9732